佐野吉宗
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/09 21:10 UTC 版)
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引退 | |
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ポジション(現役時) | フォワードセンター |
身長(現役時) | 202cm (6 ft 8 in)[1] |
体重(現役時) | 94kg (207 lb)[1] |
基本情報 | |
ラテン文字 | Yoshimune Sano |
誕生日 | 1979年4月30日(39歳) |
国 |
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出身地 | 静岡県富士宮市 |
ドラフト | |
選手経歴 | |
2002-2006 2006-2007 2007-2008 2008-2009 2010 2011 2011-2014 2014-2015 |
トヨタ自動車アルバルク 日立サンロッカーズ レラカムイ北海道 イカイレッドチンプス EDGE・1 浜松・東三河フェニックス 秋田ノーザンハピネッツ ライジング福岡 |
佐野 吉宗(さの よしむね、1979年4月30日 - )は、日本のバスケットボール選手である。旧姓、加藤(かとう)[2]。ポジションはフォワード、センター。沼津学園高校、日本大学を経て2002年にトヨタ自動車アルバルクに入団。以後日立サンロッカーズ、レラカムイ北海道やクラブチームを経て2011年にはbjリーグの浜松・東三河フェニックスと契約した。その後は秋田ノーザンハピネッツ、ライジング福岡とbjリーグのチームでプレイし、2014-15シーズン終了後に引退した。
来歴
静岡県富士宮市出身。沼津学園高校で全国大会を経験し、日本大学に進学。2001年には北京ユニバーシアード代表に選出される[2]。
卒業後の2002年、トヨタ自動車アルバルクに入団[2]。同年には全日本代表に選ばれたが、怪我のため辞退した[2]。
2006年、日立サンロッカーズへ移籍[2]。2007年、JBLに新規参入となるレラカムイ北海道へ移籍[2]。レラカムイ退団後は実業団のイカイレッドチンプス、クラブチームのEDGE・1に所属[2]。
2010年12月に浜松・東三河フェニックスの練習生となり[2]、翌2011年の1月に選手契約を締結[3]。その後、フェニックスのヘッドコーチであった中村和雄が秋田ノーザンハピネッツへ移籍するにあたって佐野を秋田に勧誘し[4]、結果、金銭トレードによって秋田に移籍した[5][6]。2013-14シーズン終了後、佐野と秋田との契約は更新されず退団、佐野はライジング福岡と契約した[7]。2014-15シーズン終了後、自身のフェイスブックにて引退を表明。引退後は故郷の静岡県でバスケットボール教室を運営している。
脚注
- ^ a b “選手プロフィール”. 秋田ノーザンハピネッツ. 2013年2月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “練習生受け入れのお知らせ” (プレスリリース), 浜松・東三河フェニックス, (2010年12月10日) 2013年2月5日閲覧。
- ^ “佐野吉宗選手 選手契約(新規)締結のお知らせ” (プレスリリース), 浜松・東三河フェニックス, (2011年1月8日) 2013年2月5日閲覧。
- ^ 高橋正和. “Go!ハピネッツ 秋田バスケ応援宣言”. 秋田朝日放送. 2013年2月5日閲覧。
- ^ “佐野吉宗選手移籍(トレード)のお知らせ” (プレスリリース), 浜松・東三河フェニックス, (2011年7月6日) 2013年2月5日閲覧。
- ^ “佐野吉宗選手移籍(トレード)のお知らせ” (プレスリリース), 秋田ノーザンハピネッツ, (2011年7月6日) 2013年2月5日閲覧。
- ^ “2014-2015シーズン選手契約基本合意のお知らせ” (プレスリリース), ライジング福岡, (2014年8月22日) 2014年8月22日閲覧。
外部リンク
- Yoshimune BB Practice - 佐野が運営するバスケットボール教室
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固有名詞の分類
日本の男子バスケットボール選手 |
村上直 石坂秀一 佐野吉宗 細野真 佐藤公威 |
トヨタ自動車アルバルクの選手 |
正中岳城 小林高晃 佐野吉宗 知花武彦 網野友雄 |
日立サンロッカーズの選手 |
朝山正悟 菅裕一 佐野吉宗 小島佑太 岩隈隆士 |
レラカムイ北海道の選手 |
朝山正悟 折茂武彦 佐野吉宗 野口大介 勝又穣次 |
浜松・東三河フェニックスの選手 |
石井秀生 スタンリー・オシティ 佐野吉宗 ウィリアム・ナイト 藤田弘輝 |
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