劉焉の失敗とその没後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 08:07 UTC 版)
劉焉は董卓暗殺後の混乱に乗じて、献帝がいる長安を襲撃しようとしたが、李傕らに大敗した。このとき、劉焉の長男と次男(劉範・劉誕)が殺害されるなどの打撃を受けた。 194年、劉焉は失意のうちに死去し、四男の劉璋が後を継いだ。すると劉焉の時代は服従していた張魯が自立しようとしたため、劉璋は張魯の母と弟を殺害。これに張魯は激怒し、以後は群雄として劉璋と争うようになる。
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