劉休範とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉休範の意味・解説 

劉休範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 16:41 UTC 版)

劉 休範(りゅう きゅうはん、元嘉25年(448年)- 元徽2年5月22日474年6月22日))は、南朝宋皇族。文帝劉義隆の十三男。明帝劉彧の弟。

生涯

孝建3年(456年)、順陽王に封じられ、後に桂陽王に改封された。大明3年(459年)、江州刺史となった。明帝が劉子勛の乱を平定すると、南徐州刺史とされたが再び江州刺史とされた。

明帝により兄弟が殺されていたが、凡庸だった休範だけは粛清を免れた。泰予元年(472年)に明帝が崩御すると、遺詔により司空となる。明帝の息子とされる蒼梧王劉昱が即位したが、劉昱も叔父ら諸王十数人を殺したために叛逆を企て、元徽2年(474年)5月に尋陽で挙兵した。休範の軍は建康に迫ったが[1]、わずか10日ぶりに右衛将軍の蕭道成に敗れて殺された[2][3][4]。享年27。

この反乱平定により、蕭道成は国務に参画するようになり、後に南朝斉の建国の礎のひとつとなった[2]

脚注

  1. ^ 駒田 & 常石 1997, p. 176.
  2. ^ a b 駒田 & 常石 1997, p. 177.
  3. ^ 川本 2005, p. 150.
  4. ^ 『宋書』巻9, 後廃帝紀 元徽二年五月壬辰条による。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉休範」の関連用語

1
54% |||||

2
36% |||||

3
36% |||||

4
34% |||||

5
34% |||||

6
34% |||||

7
34% |||||

8
34% |||||

9
32% |||||

10
32% |||||

劉休範のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉休範のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉休範 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS