蘇侃とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蘇侃の意味・解説 

蘇侃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/15 04:08 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

蘇 侃(そ かん、427年 - 479年)は、南朝宋からにかけての官僚文人は休烈。本貫は武邑郡。

経歴

蘇端の子として生まれた。はじめ宋の長城県令に任じられた。466年泰始2年)、薛安都が反乱を起こすと、蘇侃は召し出されてその府参軍となり、書記をつかさどった。薛安都が北魏に降ると、蘇侃は脱走して宋に帰国した。積射将軍の号を受けた。淮上にいた蕭道成と出会い、これを頼った。蕭道成が淮陰に駐屯すると、蘇侃は冠軍録事参軍となった。張永・沈攸之らが北魏に敗れて、宋が淮北を失陥すると、蕭道成は1000人に満たない手勢で北の前線に派遣され、蘇侃はこれに従った。兵営にあること長く、蕭道成の心もすさんだので、蘇侃は「塞客吟」を作ってさとした。

473年元徽元年)、巴西の李承明が反乱を起こすと、蘇侃は蕭道成の命で諸軍を慰労するために派遣された。帰還すると羽林監に任じられ、建武将軍の号を加えられた。474年(元徽2年)、桂陽王劉休範が反乱を起こすと、蘇侃は蕭道成の命で平南録事となり、軍主を兼ね、新亭に駐屯し、金銀を諸将に分配した。劉休範の乱が鎮圧されると、蘇侃は歩兵校尉に任じられ、綏虜将軍・山陽郡太守として出向した。龍驤将軍に進み、前軍将軍の号を受けた。477年昇明元年)、沈攸之が反乱を起こすと、蘇侃は蕭道成の下で游撃将軍の号を受け、驃騎咨議・領録事となった。黄門郎に任じられ、太尉咨議となった。

蘇侃は長らく蕭道成に仕えて、その起居の記録を残しており、丘巨源とともに『蕭太尉記』を編纂した。功績により新建県侯に封じられた。479年(昇明3年)、斉国が建てられると、蘇侃は黄門郎となり、射声校尉を兼ねた。同年(建元元年)、蕭道成が皇帝に即位すると、蘇侃は『聖皇瑞命記』1巻を編纂して献上した。同年のうちに死去した。享年は53。輔国将軍・梁南秦二州刺史の位を追贈された。は質侯といった。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蘇侃」の関連用語

1
4% |||||

2
4% |||||

蘇侃のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蘇侃のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蘇侃 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS