前田あさのとは? わかりやすく解説

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前田あさの

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/15 18:14 UTC 版)

前田 あさの(まえだ あさの、1905年明治38年〉11月 - 1979年昭和54年〉11月18日[1]は、大正末期から昭和初期にかけて活動した日本の女流飛行家草分けの一人。結婚後の氏名は龍 あさの(りょう あさの)[注釈 1]

経歴

奈良県山辺郡福住村(後の天理市)で農業を営む前田徳蔵の二女として生まれる[1]。修斉尋常高等小学校卒業[1]

1923年(大正12年)3月、17歳の時[3]に飛行家になることを目指し、家族の猛反対を押し切って上京する。東京蒲田にあった相羽有主催の日本自動車学校航空科に入校。生徒20人中女性は2人で、あさのは最年少であった[1]。学校の雑用などをこなしながら勉学に励んだ[3][4]

1924年(大正13年)9月7日には賀陽宮恒憲王が日本飛行学校を訪問。教官の小川寛爾一等飛行士と熊川良太郎二等飛行士、そして女流の前田あさの練習生、以上の3名が御前飛行を行った。あさのは一番手で飛び立つと、アブロ式複葉機で高度約500mの上空を一周している[5]

1925年(大正14年)12月14日[6][注釈 2]逓信省の試験に合格し、三等飛行機操縦士免許を取得[8]。日本で4人目の女性パイロットとなる[注釈 3]

その後は郷里に帰って民間航空会社に勤め[3]、1928年(昭和3年)には二等飛行機操縦士免許を取得したとされる[3][注釈 4]。地元新聞社である大和日報社の社機で祝賀飛行を行ったり、ビラ撒きを行ったりした[7]。なお当時、航空機による旅客輸送に必要な一等飛行機操縦士免許[注釈 5]の門戸は女性に開かれていなかった[9]

1930年(昭和5年)には「父親への恩返し」のためとして山辺郡丹波市町(後の天理市)下仁興の龍義治[1]に嫁ぎ、航空界から引退。以後は農業に専念し、6人の子を育てた[4]

1976年(昭和51年)、大正期を舞台にパイロットを目指す女性を描いたNHK連続テレビ小説雲のじゅうたん』が放送されると、あさのもモデルの一人ではないかと注目された[8]。取材の際に「生きているうちにもう一度立川の空を飛んでみたい」との発言があり、同年8月下旬に招かれて立川市(かつて飛行訓練を行った立川飛行場が所在した)を訪問[4]。ヘリコプターで立川の空を一周し「人間が空を飛ぶ時は風が体に当たらないと実感が出んわ」との感想を残している[10]

備考

  • 俳優の龍ともこは孫[2][11]
  • 『naranto(ナラント) 2011年版』(エヌ・アイ・プランニング)の特集記事「幕末から昭和を駆け抜けた「おんな」の人生 大和おんな偉人伝」があさの(記事では「アサノ」と表記されている)を取り上げ、家族に取材している[4]

脚注

注釈

  1. ^ 孫の龍ともこや、家族に取材した『naranto』誌は、名について「アサノ」表記を使っている[2]
  2. ^ 三等飛行機操縦士免許取得の時期を、『naranto』は1923年(大正12年)[4]、『郷土歴史人物事典奈良』は1924年(大正13年)とする[1]が、楢崎茂彌はこれから三等飛行機操縦士免許に挑む前田を扱った『読売新聞』大正14年12月4日付記事を紹介している[7]
  3. ^ 「日本で4人目の女性飛行士」とされるが、数え方(先行する3人に誰を数えているか)については出典に記載がない[8]。村山(2007年)が掲げる「戦前の女性飛行士一覧表」(もとは『ヒコーキ野郎』1977年6月号に掲載されていたもので、日本婦人航空協会監修とある)は「二等飛行機操縦士免許」「三等飛行機操縦士免許」の表に分かれているが、三等飛行機操縦士免許の表に兵頭精(大正11年3月31日免許取得)、山中フサ子(大正13年免許取得)に次いで「前田あさの」の名がある[6]。二等飛行機操縦士免許取得者は「二等飛行機操縦士免許」の表に記され、三等飛行機操縦士免許取得の年次は記されていないが、二等飛行機操縦士第一号の木部シゲノは三等飛行機操縦士免許を大正14年に取得しており、楢崎が紹介する『読売新聞』大正14年12月4日付記事では、前田が合格すれば女性三等飛行士は木部と2人になると述べている[7](日本初の女性パイロットである兵頭は免許取得後まもなく空を去っている)。「戦前の女性飛行士一覧表」によれば2人目の女性飛行士となる山中フサ子(出身地は東京。明治40年7月生まれ、福長飛行場で飛行訓練を受ける)については事績不明である。なお、1912年にアメリカ合衆国で飛行訓練を行った南地よねや、1917年に日本飛行学校に入学した上野艶子といった、兵頭に先行して空を飛んだ練習生(免許取得には至らなかった)を「日本最初の女性飛行士」として取り上げる書籍もある。
  4. ^ 村山(2007年)が掲げる「戦前の女性飛行士一覧表」には二等飛行機操縦士免許取得についての記載がない[6]
  5. ^ 航空法施行規則(昭和2年逓信省令第8号)第69条「一等飛行機操縦士免状ノ受有者ハ用途ノ如何ニ拘ラス免状ニ掲クル飛行機ノ操縦ニ従事スルコトヲ得/二等飛行機操縦士免状ノ受有者ハ運送営業ノ為ニスル場合ヲ除クノ外免状ニ掲クル飛行機ノ操縦ニ従事スルコトヲ得」。なお、昭和2年の航空法施行規則では三等飛行機操縦士免許は規定されず、当分の間の措置として別個に「三等飛行機操縦士免許規則」(昭和2年逓信省令第12号)が定められた。

出典

  1. ^ a b c d e f 乾健治『郷土歴史人物事典奈良』第一法規出版、1981年10月、188頁。NDLJP:12252868/99 
  2. ^ a b 2019年9月14日付のツイート”. twitter. 2021年5月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e まちづくりマップ 氷室の郷土 福住”. 奈良県. 2021年5月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『naranto(ナラント) 2011年版』(エヌ・アイ・プランニング)
  5. ^ 『日本航空史 坤』航空協会、1936年、944-945頁。NDLJP:1866570/524 
  6. ^ a b c 村山茂代 2007, p. 46.
  7. ^ a b c d 楢崎茂彌 (2010年4月14日). “(17) 女性飛行士、立川の空を舞う”. 立川陸軍飛行場と日本・アジア. 知の木々舎. 2021年5月9日閲覧。
  8. ^ a b c d 竜あさの”. 20世紀日本人名事典. 2021年5月9日閲覧。
  9. ^ 村山茂代 2007, p. 48.
  10. ^ 三田鶴吉 著、西武新聞社 編『立川飛行場物語』 上、けやき出版、1987年3月、150頁。NDLJP:12013616/79 
  11. ^ 浅茅陽子さん!”. 龍ともこ(りょうともこ)の日記もどき (2019年9月14日). 2021年5月11日閲覧。

参考文献

関連項目




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