利永村の分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 00:54 UTC 版)
ウィキソースに今和泉村の内大字利永の区域より利永村を設置する件の総理庁告示があります。 村の南端部に位置していた大字利永は中心部より遠くに位置しており、利永から岩本にある村役場へ行くのには山川町や指宿町を経由しなければならなかったため、利永には村役場の支所が設置されていた。 それにより、利永は今和泉村の中でも独立の地位にあり古くより分村が検討されてきたが、分村したとしても小規模な村になってしまうことから鹿児島県や今和泉村は好ましくないとして慰留してきたが、1948年(昭和23年)に分村が村議会、県議会で議決され、同年9月1日に今和泉村のうち大字利永村の区域が分割され利永村が成立した。
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