共治帝時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/30 08:45 UTC 版)
「アレクサンドロス (東ローマ皇帝)」の記事における「共治帝時代」の解説
長兄のコンスタンティノスが没したあと、879年に共同皇帝となった。883年から886年にかけてレオーンが後継者の地位を剥奪されていた時期には、アレクサンドロスがバシレイオス1世の後継者とされていたと考えられる。おそらくこの時期に結婚したが、終生子供はいなかった。 レオーン6世の治世の間、共同皇帝としてなんら実務に関与することなく過ごす。兄との仲はあまり良いとは言えず、聖モキオス教会でレオーン6世の暗殺未遂事件が起きた時には、関与を疑われたこともある。しかしそれでも、912年にレオーン6世はまだ幼少であった息子のコンスタンティノス7世の後見を委ねて没した。
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