八代忠吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 04:48 UTC 版)
1801年(享和元年) 生まれ、1859年(安政6年)没。元は鍋島藩士古川家の次男として生まれる。七代目に実子がなかったため橋本家(母の実家)に入り、1816年(文化13年)に忠吉および新左衛門を襲名する。1850年(嘉永3年)には藩の大砲製造方に任命され、藩の近代化に大きく貢献する。一般的に後代忠吉といえばこの八代を指す。新々刀上作。
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