党錮の禁の終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 08:07 UTC 版)
この党錮の禁の対象者は176年に党人の一族郎党まで拡大された。しかしその後黄巾の乱が起きた際、追放された党人らが乱に加担する事を恐れた後漢朝廷によって禁が解かれ、党錮の禁は終結した。 黄巾の乱が終結すると、十常侍はじめとする宦官と外戚の何進との間で再び権力闘争が起きる。宦官らは何進を謀殺するが、その後何進謀殺に怒り宮中に乱入した、袁紹・袁術らの軍勢が宦官らを皆殺しにした事により、宦官と外戚の権力闘争は共倒れという形で終結したが、その隙に洛陽を占拠した董卓により後漢王朝は統治力を無くした。
※この「党錮の禁の終結」の解説は、「党錮の禁」の解説の一部です。
「党錮の禁の終結」を含む「党錮の禁」の記事については、「党錮の禁」の概要を参照ください。
- 党錮の禁の終結のページへのリンク