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児玉実良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 09:21 UTC 版)

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児玉実良

児玉 実良(兒玉 實良、こだま さねよし、1882年明治15年)11月5日[1] - 1956年昭和31年)3月20日 [2])は、明治末から昭和期の裁判官検察官弁護士衆議院議員

経歴

鹿児島県薩摩郡樋脇郷麓[3](樋脇村[4]樋脇町[5]を経て現薩摩川内市)で、児玉善輔の長男として生まれた[1]1908年(明治41年)京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[1][3][6]。司法官試補に任じられ[1]徳島地方裁判所判事千葉地方裁判所判事、名古屋地方裁判所・名古屋区裁判所検事、七尾区裁判所検事、小倉区裁判所検事、高松地方裁判所・高松区裁判所検事、京都地方裁判所・京都区裁判所検事、鹿児島区裁判所検事などを歴任した[4][6]。退官後は鹿児島市で弁護士を開業した[1][2][6]

1925年大正14年)8月3日、第15回衆議院議員総選挙鹿児島県第5区補欠選挙で当選し[7][8]。衆議院議員に1期在任し[2]政友本党立憲民政党に所属した。

議員退任後、1930年(昭和5年)鹿児島新聞社長に就任[1][3]。戦時中の新聞統制により1942年(昭和17年)2月、鹿児島新聞と鹿児島朝日新聞が合併し鹿児島日報(現南日本新聞)が設立されると初代社長に就任[5]。資金調達に尽力して新会社の基礎作りを行い、1943年(昭和18年)2月に社長を辞任した[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『地方発達と其人物』1648頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』254頁。
  3. ^ a b c 『鹿児島県姓氏家系大辞典』373頁。
  4. ^ a b 『衆議院要覧』305頁。
  5. ^ a b c 『郷土人系 上』125頁。
  6. ^ a b c 『帝国大学出身名鑑』コ42頁。
  7. ^ 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』259頁。
  8. ^ 『官報』第3921号、大正14年9月17日。

参考文献

  • 『衆議院要覧(乙) 大正十五年九月』衆議院事務局、1926年。
  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1932年。
  • 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
  • 『地方発達と其人物』郷土研究会、1938年。
  • 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会編著『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。



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