光珍寺とは? わかりやすく解説

光珍寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/15 14:21 UTC 版)

光珍寺
光珍寺本堂
所在地 岡山県岡山市北区磨屋町6-28
位置 北緯34度39分53.45秒 東経133度55分27.99秒 / 北緯34.6648472度 東経133.9244417度 / 34.6648472; 133.9244417座標: 北緯34度39分53.45秒 東経133度55分27.99秒 / 北緯34.6648472度 東経133.9244417度 / 34.6648472; 133.9244417
山号 柴岡山
宗旨 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 伝・天平勝宝元年(749年)
開基 伝・報恩大師
公式サイト 光珍寺 公式
法人番号 2260005000422
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1980年(昭和55年)竣工の旧光珍寺本堂。解体済み

光珍寺(こうちんじ)は、岡山県岡山市北区にある天台宗の寺院。山号は柴岡山(しばおかやま)。本尊は阿弥陀如来宇喜多氏の菩提寺である。

概要

寺伝が詳細に書かれた『備陽記』によれば、報恩大師が奈良時代天平勝宝元年(749年)、備前国に48ヶ寺を建立した際、2番目に建立した寺院とされる。元来は隣接する岡山寺と同一の寺院であった。

分割までの歴史は岡山寺#歴史を参照。

江戸時代前期の慶安5年(1652年岡山藩池田光政の時代、寺院管理の公示により岡山寺光珍寺(現・光珍寺)と岡山寺観音坊(現・岡山寺)に分割された。

昭和20年(1945年6月29日岡山空襲によって伽藍を焼亡した。この際に、寺宝の愛染明王像・宇喜多直家木像や宇喜多家歴代の位牌も同時に焼失した。昭和55年(1980年)に本堂が再建された。その本堂も2022年、2023年に分けて解体され[1]、2023年1月、本堂が新築された[2]

脚注

  1. ^ 解体事例 株式会社ケイ・エヌ・ビー
  2. ^ 光珍寺新築工事

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