元グランプリ組加入 - リー・カースレイク脱退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 00:30 UTC 版)
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1986年、かつて所属していたブロンズ・レコード倒産。ボーカリストにステフ・フォンテイン、キーボーディストにフィル・ランゾンを迎えて活動再開。11月にフォンテインを解雇し、ボーカリストをバーニー・ショウに変更し活動。1988年、新ラインナップで収録したライブ・アルバム『ライヴ・イン・モスクワ』をリリース。1989年、新ラインナップでは初となるスタジオ・アルバム『レイジング・サイレンス』を発表。 1991年、スタジオ・アルバム『ディファレント・ワールド』発表。18年ぶりの来日公演を行う。1995年のスタジオ・アルバム『シー・オブ・ライト』は、23年ぶりにロジャー・ディーンがアートワークを手がけ、音楽的にも初期の作風に回帰した作品と評されている。バーニー・ショウが喉の手術を行ったため、一部ツアーでは代役として、ジョン・ロートンが参加。1998年、スタジオ・アルバム『ソニック・オリガミ』発表。以降はスタジオ・アルバムの発表は無く、ライブ活動に専念する。
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