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元勰

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 12:56 UTC 版)

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元 勰(げん きょう、473年 - 508年)は、北魏皇族。彭城王。献文帝の六男で、孝文帝の弟、孝荘帝の父。彦和諡号武宣

生涯

473年、献文帝と潘貴人のあいだの子として生まれた。485年、始平王に封ぜられ、侍中・征西大将軍に任ぜられた。後に侍中のまま中書令に任ぜられ、彭城王に改封された。中軍大将軍・都督南征諸軍事として、南朝斉を討伐した。引き続き、新野南陽に進出し、南朝斉の蕭衍崔慧景の軍勢を撃破する功績を立てた。499年、孝文帝が病に倒れると、元勰は北魏の国政を総覧し、侍中のまま司徒・太子太傅となった。南朝斉の陳顕達が侵攻してくると、元勰は持節・都督中外諸軍事として北魏の六軍を統率した。孝文帝が死去すると、任城王元澄らとともに宣武帝を擁立した。500年、南朝斉の豫州刺史裴叔業が亡命してくると、元勰は寿春でこれを迎えた。司徒・揚州刺史となり、大司馬となった。諸軍を分遣して南朝斉の陳伯之や胡松を討ち、淮南を平定した。また高皇后の立后に反対し、高肇の恨みを買った。508年、京兆王元愉が乱を起こすと、元勰の母の兄弟の潘僧固が参加したため、元勰は元愉と通じていると高肇に誣告され、毒酒を飲まされて殺された。

後に孝荘帝が即位すると、元勰に文穆皇帝粛祖廟号を贈った[1]。しかしさらに後の節閔帝の代になると、諡号と廟号を剥奪され位牌を宗廟から取り除かれた[2]

妻子


  • 李媛華(李沖の四女)

男子

  • 真定県公 元子直(庶子)
  • 彭城王 元劭(母は李媛華。孝荘帝により孝宣皇帝と追諡された)
  • 孝荘帝 元子攸(母は李媛華)
  • 元子正(母は李媛華)

女子

  • 寧陵公主(庶女。王誦(王粛の兄の王融の子)の妻)
  • 寿陽公主 元莒犁(庶女。蕭綜の妻)
  • 襄城公主(庶女。崔暹の子の崔瓚の妻)
  • 光城公主 元楚華(母は李媛華。馮誕の子の馮顥の妻)
  • 豊亭公主 元季瑤(母は李媛華。李延寔の子の李彧の妻)

養女

  • 上庸公主(元禧の娘)

脚注

  1. ^ 『魏書』巻21下 献文六王「及荘帝即位,追号文穆皇帝,妃李氏為文穆皇后,遷神主於太廟,廟称粛祖。」
  2. ^ 『魏書』巻21下 献文六王「節閔帝時,去其神主。」

伝記資料

  • 魏書』巻二十一下 列伝第九下 献文六王
  • 北史』巻十九 列伝第七 献文六王
  • 魏故使持節侍中仮黄鉞都督中外諸軍事太師領司徒公彭城武宣王墓誌(元勰墓誌)



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