個人的懐疑に基づいた論証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 02:37 UTC 版)
「無知に訴える論証」の記事における「個人的懐疑に基づいた論証」の解説
個人的懐疑に基づいた論証には次のような2つの典型的形式がある。 「そんなことが可能とは信じられない。だから真ではないに違いない」(この人物は、ある命題が真であると納得できないから、あるいは自身が好ましいと思う観点を支持しない証拠を信じられないから、その命題は間違っていると主張している) 「人々はそんなことを言っていない。私が言ったことに同意しているのだ」(この人物は、「一般大衆」が自身の考えに同意していて、別の考えの根拠を与えているのではないから、その命題は不正確だと主張している)これは衆人に訴える論証でもある。 個人的懐疑に基づいた論証が無知に基づいた論証と同じとなるのは、あるシナリオが不可能だという個人的信念だけを証拠として、別のシナリオが真であると主張する場合である(すなわち、その別のシナリオには他に特に根拠はない)。 極めて一般的に、個人的懐疑に基づく論証には、好ましい結論へと意見を導く何らかの証拠を伴う。この場合でも、その証拠が個人的懐疑に基づく度合いによっては論理的誤謬となる。その場合、好ましい結論へと誘導するような個人的バイアスがかかっていることが考えられる。
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