信濃川の氾濫と飢饉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:25 UTC 版)
江戸時代には長岡藩領内の信濃川の大氾濫が実に約40回にもおよび、長岡城まで浸水すること7回、中小の氾濫も含めるとおびただしい数になる。1回の大水害による被害は万石単位となり、寛政元年(1789年)の洪水では米穀損害高6万6千石強になったこともあり、財政を非常に圧迫した。恒常的に同藩の財政を圧迫した大きな原因として洪水被害も無視できない。加えて、延宝・宝暦・文政・天保期には大飢饉にみまわれた。
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