保土ヶ谷より
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/09 08:35 UTC 版)
保土ヶ谷宿からは東京湾側を南下する。金沢までは並行する京急本線や国道16号より内陸部を通過していた。なお、この付近の国道16号は現在横須賀街道と呼ばれている。六浦では鎌倉へ向けて朝比奈切通しを越え半島の付け根を横断する六浦道が接続した。 六浦から横須賀へは海岸線近くまで山地が迫る急峻な地形で、十三峠などの険しい峠道や尾根筋を越えて民家が並ぶ谷戸の間を結んだ。現在では国道が何本ものトンネルを抜けて走り、かつての道は宅地造成などで消滅している箇所も見られる。 現在の横須賀市中心街近くを過ぎると、県立大学駅付近から京急本線沿いに平地を進むようになる。このあたりは埋立てが行われる以前の海岸線近くであり、陣屋が設けられていた大津で戸塚・鎌倉方面からの道が合流する。馬堀から最後の難所となる矢の津坂を越えると浦賀へと到り、さらに三崎へと続く三浦往還が延びていた。
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