作者徐兢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 14:07 UTC 版)
『宣和奉使高麗図経』の作者は徐兢(1091年 - 1153年)で、彼の字は明叔といい、自信居士と号した。徐兢は北宋甌寧(中国語版)(一説には和州の歴陽)の出身。絵画、書道に秀で、地方官を勤めていた時、大宗丞兼掌書学、刑部員外郎などの職を務めた。 1123年(宋徽宗の宣和五年・高麗仁宗元年)、高麗睿宗王俁が逝去、北宋は弔意のための使節団を高麗に派遣した。徐兢はその一員だった。徐兢は高麗の国都開城に数ヶ月間滞在し、中国帰国後、高麗の国の成り立ちや政治制度、風俗と事物の様子について書き起こした、それぞれの章に絵画を添付させた。
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