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佐藤亮太 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/19 02:14 UTC 版)

佐藤 亮太
2016年8月12日 阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本
出身地 長野県長野市
生年月日 (1983-09-02) 1983年9月2日(41歳)
身長
体重
186 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト7巡目
初出場 2006年10月16日
最終出場 2008年7月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴

佐藤 亮太(さとう りょうた、1983年9月2日 - )は、長野県長野市出身の元プロ野球選手投手)。現在は中日ドラゴンズ打撃投手を務めている。

チーム内に同姓の佐藤充がいたので、スコアボードや新聞の表記は「佐藤亮」とされていた。

来歴

プロ入り前

小学校4年で大豆島少年野球クラブで始め、更北中学校で投手[1]長野日大高では3年夏ベスト8[1]國學院大學へ進学。東都大学野球2部リーグで2年秋にはチームが優勝し、入替戦では先輩の梅津智弘伊藤義弘の後に登板した。以降も2部で4年春に5勝[1]。1年下の嶋基宏とバッテリーを組んだ。

その後、2005年の大学生・社会人ドラフト中日ドラゴンズから7巡目指名を受けて入団。即戦力左腕として期待された。

プロ入り後

ルーキーイヤーの2006年はチームのリーグ最終戦に登板したのみであった。2007年は4月にプロ初先発を果たすが、敗戦投手となりその1試合のみの登板に終わった。

2008年は最多の4試合に出場し2試合に先発。しかしプロ初勝利をすることはなく終わった。オフにはドミニカ・ウィンターリーグに派遣され、エストレージャス・デル・オリエンテ前田章宏と所属。4試合に登板した。

2009年は、春季キャンプは一軍スタートであったが、開幕は二軍で迎える。同年11月2日に戦力外通告を受け、中日の打撃投手へと転身することが決まった。2015年から打撃投手兼記録ビデオ担当。

プレースタイル

130km/h台後半~140km/h台前半の直球と、スライダーカーブスクリューなどの多彩な変化球を投げ分ける軟投派。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 中日 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 6 1.0 3 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00 3.00
2007 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 15 2.2 6 0 1 0 0 4 0 0 5 0 0.00 2.63
2008 4 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 56 12.2 13 2 2 0 3 6 0 0 7 7 4.97 1.18
通算:3年 6 3 0 0 0 0 2 0 0 .000 77 16.1 22 2 3 0 3 12 0 0 12 7 3.86 1.53

記録

背番号

  • 50 (2006年 - 2009年)
  • 121 (2010年 - )

脚注

  1. ^ a b c 2006プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社

関連項目

外部リンク




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