佐々木到一軍事顧問就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 16:54 UTC 版)
1922年に日本の広東駐在武官となった佐々木到一は、当時、中国国民党の本拠であった広東で国民党について研究し、その要人たちと交わり、深い関係を持った。佐々木は後年に国民党通と言われる。孫文が陳炯明を追い払うと要請を受け、孫文の軍事顧問となる。 佐々木は孫文の軍用列車に便乗して国民党の戦いぶりを観察している。また列車の中で孫文から蔣介石を紹介された。なお人民服(中山服)のデザインも佐々木の考案に基づいたされる。佐々木は1924年に帰国するが、その後も孫文とは交遊を続けた。
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