住谷啓三郎とは? わかりやすく解説

住谷啓三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 02:45 UTC 版)

住谷啓三郎
すみや けいざぶろう
生年月日 1897年7月12日
出生地 群馬県高崎市
没年月日 (1975-01-27) 1975年1月27日(77歳没)
出身校 早稲田大学卒業

当選回数 4回
在任期間 1955年5月2日 - 1971年5月1日


高崎市議会議員
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住谷 啓三郎(すみや けいざぶろう、1897年明治30年)7月12日[1] - 1975年[2]昭和50年)1月27日[1])は、日本の政治家高崎市長1955年 - 1971年)。

来歴

高崎市田町の荒物問屋の長男に生まれる。旧制高崎中学(現、群馬県立高崎高等学校)を経て、早稲田大学卒業。少壮実業家として高崎セロファン工場を起業する傍ら、高崎中学の同窓であった井上房一郎蠟山政道と高崎新人会を創設。1932年に高崎市議会議員に当選し、翌1933年に市議会議長に選ばれる。

1947年に行われた戦後最初の市長選に出馬するが、小島弘一に敗れる。その後1955年の市長選に出馬して当選、以後1971年に落選するまで4期16年務める。 市長在任中には高崎短期大学を4年制の高崎経済大学に昇格させるのに尽力し、井上から群馬交響楽団の運営を引き受けると共に音楽センターを建設、工業団地や問屋団地の開発・整備に功績を残した。

家族

  • 祖父・住谷喜三郎‐荒物商「福田屋」経営、高崎水力電気取締役[3][4]
  • 父・住谷喜平‐群馬県多額納税者、荒物商、高崎水力電気監査役[5]
  • 妻・はま - 地元絹問屋「小沢商店」小沢吉平の妹[5]

脚注

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、94頁。
  2. ^ 近代高崎150年の精神 高崎人物風土記 - 住谷 啓三郎 高崎新聞
  3. ^ 高崎繁昌記 篠田尚久 栄林堂 明30.2
  4. ^ 住谷喜三郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  5. ^ a b 住谷喜平『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年

  





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