伏竜寺 (郡山市)とは? わかりやすく解説

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伏竜寺 (郡山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/15 09:11 UTC 版)

伏竜寺
所在地 福島県郡山市湖南町福良字寺前
位置 北緯37度23分35秒 東経140度04分38秒 / 北緯37.39306度 東経140.07722度 / 37.39306; 140.07722座標: 北緯37度23分35秒 東経140度04分38秒 / 北緯37.39306度 東経140.07722度 / 37.39306; 140.07722
山号 無窮山
宗派 真言宗豊山派
開山 徳一大師
文化財 木造千手観音立像(県指定重要文化財)
法人番号 9380005003035
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伏竜寺(ふくりゅうじ)は、福島県郡山市湖南町福良に所在する真言宗豊山派の寺院。正式には無窮山 千手院 伏竜寺だが、単に千手院と紹介されることも多い[1]

概要

福島県指定重要文化財の木造千手観音立像や郡山市指定天然記念物の夫婦モミため池の前に立つ一本桜などで知られる。また、弘法大師にまつわる伝説が残されている他、会津戦争戊辰戦争)では野戦病院として使用され、青龍隊隊士の墓が残っている。

歴史

慧日寺を開いた徳一大師により、同寺の姉妹寺として開かれたと伝えられる[2]

弘法大師により刻まれたと伝えられる木造千手観音立像は、作風などから鎌倉時代のものと考えられている。また、付近の池も水不足に苦しむ民のために弘法大師が掘ったと伝えられる。

1589年天正17年)の伊達政宗の会津攻めでは、観音堂を残し、他の建物は焼き払われた。

1868年慶応4年/明治元年)の会津戦争(戊辰戦争)では野戦病院となる。

文化財

木造千手観音像

福島県指定重要有形文化財

  • 木造千手観音立像 - 高さ1.73m。1246年寛元4年)に当時付近で暴れまわっていた大蛇を退治した弘法大師がその霊を慰めるために刻んだと伝えられるが[3]、実際には作風などから鎌倉時代のものと考えられている[1]。公開は毎月17日などで、団体は要問い合わせ。

行事

例大祭

  • 毎年7月17日。木造千手観音立像の公開など。

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 湖南町の文化財”. 郡山市公式ウェブサイト. 郡山市. 2018年4月28日閲覧。
  2. ^ 慧日寺と姉妹寺の千手観音”. ぐるっと湖南4 福良. ぐるっと湖南伝承会. 2018年4月28日閲覧。
  3. ^ 病と飢えから救うために刻んだとも伝えられる



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