伊藤徳三
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伊藤 徳三(いとう とくぞう、1853年7月7日(嘉永6年6月2日[1])- 1921年(大正10年)4月26日[2])は、日本の弁護士。政治家、衆議院議員(1期)。幼名・豊三郎[1]。
経歴
尾張国愛知郡名古屋村(現愛知県名古屋市)[1][注釈 1]で、尾張藩士・伊藤東四郎の息子として生まれた[1]。漢学を学ぶ。司法省出仕を経て、代言人となり、大阪弁護士会長、大阪市会議員、大阪府会議員、大阪築港委員、所得税調査委員、破産管財人、第五回内国勧業博覧会評議員となる[2]。
1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において大阪2区から憲政党公認で立候補して当選する[3]。衆議院議員を1期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙では大阪市から出馬したが31票差の次点で落選[4]。1921年に死去した。
親族
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』46頁では大阪府。
出典
参考文献
- 木村銀次郎 (吟城) 編『近畿名士偉行伝 第2編』光世館、1893-1894年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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