伊米神社八幡宮とは? わかりやすく解説

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伊米神社八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/18 22:41 UTC 版)

伊米神社八幡宮

拝殿と手水舎
所在地 新潟県小千谷市桜町1314
位置 北緯37度18分56.9秒 東経138度46分57.0秒 / 北緯37.315806度 東経138.782500度 / 37.315806; 138.782500座標: 北緯37度18分56.9秒 東経138度46分57.0秒 / 北緯37.315806度 東経138.782500度 / 37.315806; 138.782500
主祭神 天香語山命
社格 式内社論社
本殿の様式 神明造
地図
伊米神社
八幡宮
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鳥居

伊米神社八幡宮(いめじんじゃはちまんぐう)は、新潟県小千谷市桜町にある神社。『延喜式神名帳』に魚沼郡五座の一つとして記されている「伊米神社」の論社の一つ。

祭神

歴史

天香語山命が、越国平定を命じられ、この地に着いた。始めは上伊米(同市両新田)に住み、後に下伊米(同市桜町)に住み、その後、現在伊米八幡宮がある伊米ヶ原と呼ばれる地に住んだ。『伊米八幡宮古証書上』には、「伊米大神は伊米彦命にて、此所に鎮まり給う。即ち伊米原と申す也。一男一女を出産す。兄命の名は神稲長穂、妹の姫の名は伊米多良姫と申す。(中略)伊米長穂王坐したる所を今に上伊米と言い、伊米多良姫坐したる所を下伊米と言う。」と記されている。また、この地にいた頃、手栗彦命とも呼ばれていたという。源義家がこの地を通った際、この地の蝦夷と戦になった。家来の永野氏は義家を遠国橋の下に隠し、命を救った。義家は兜の中の守り本尊を八幡宮として祀り、永野氏にこの地を治めさせた。又は、1064年、源義家が、奥州から京都への帰り、行く時に戦勝祈願した結果奥州平定が出来たので、お礼に永野(後の中町)・阿部又は中町・永野の二人の家来に八幡神社を守るために残したという。その後、八幡宮は伊米神社と共に祀られた。

摂末社

神伊米清水

上伊米清水と下伊米清水がある。

  • 伊米の神に祈りながら飲むと、邪気・災厄が祓われるという。
  • 上伊米清水を飲むと左目、下伊米清水を飲むと右目が良くなるという。
  • 男性は上伊米清水、女性は下伊米清水を飲むと、病気が治るという。
  • 藤原時平の奥方と藤原兼平が、同市吉谷へ向かう途中、喉が渇いたが水がない時に、兼平が京都のほうをむき、菅原道真公に「藤原一族の罪を許し、水を与えてください。」と祈ると、水が沸いてきた。それを、感銘の水と呼んだという伝説がある。しかし、「神伊米」と「感銘」が似ている為できた話だともいう。

社殿

  • 本殿
    • 神明造
    • 南向丸柱
    • 萱葺
    • 間口 一間一尺
    • 奥行き 一間一尺
  • 拝殿
    • 丸柱
    • 萱葺
    • 間口 四間
    • 奥行き 四間
  • 幣殿
    • 神明造
    • 萱葺
    • 間口 二間一尺
    • 奥行き 二間半

参考文献

  • 『伊米神社社史』伊米神社社史編集委員会。
  • 五十嵐秀太郎著『小千谷の伝説』恒文社。

脚注





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