伊勢亀山への転封
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 06:22 UTC 版)
寛文9年(1669年)2月、5000石加増の5万石の上で、伊勢亀山に加増移封された。 亀山では、亀山城の改増築、寺社政策の徹底、新田開発などの勧農政策を行なう一方で、賦役の軽減や減税などの善政にも努めたといわれる。しかし優れた政治を行なったにもかかわらず、連年のように凶作が続き、藩財政は窮乏して1万2000両の負債を抱えるようになり、その後の亀山藩の財政に悪影響をもたらした。 貞享5年(1688年)2月16日、家督を養子の重冬に譲って隠居する。半年後の8月7日に死去した。享年46。
※この「伊勢亀山への転封」の解説は、「板倉重常」の解説の一部です。
「伊勢亀山への転封」を含む「板倉重常」の記事については、「板倉重常」の概要を参照ください。
- 伊勢亀山への転封のページへのリンク