仲村城の略史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 05:15 UTC 版)
正確な築城年代は定かでないが、『讃岐府誌』によると平安時代後期に源氏に属していた仲行司貞房の居城とされている。 行司氏が長くこの城に居たとされているが滅亡し、現在は行路(ぎょうじ)の地名のみが残されている。 仲行司貞房は屋島の戦いで源氏に味方した人物であり、征夷府に録上した書にも多度郡仲村城主としてその名を留めている。 全讃史には「仲行司貞房之に居りき。後世行司清左衛門と言うものありて、なおその所に居りき」とあり、行司清左衛門の代までは仲村城に居たとされる。 戦国時代に甲山城が築かれたことで、仲村城は廃城となったとされている。 『角川日本地名大辞典』では、仲は那珂からきたとされ、那珂郡に本拠地を持っていたと考えられ、多度郡の仲村城に拠ったとすることは疑わしいとの説もある。
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