仙石氏統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/02 15:51 UTC 版)
真田氏に代わって、信濃小諸藩より仙石忠政が6万石で入った。 忠政は上田城修築などに尽力したが、寛永5年(1628年)に死去。後を子の仙石政俊が継いだ。政俊は検地を主流とした土地制度改革を行なったが、結果として失敗し、結局、上田の収入は貫高制のまま移行できなかった。政俊の子・仙石忠俊は父に先立って早世していたため、孫の仙石政明が寛文9年(1669年)に後を継いだ。この時、忠政の三男・仙石政勝が小県郡の内で2000石を分与されている。そして宝永3年(1706年)、政明は但馬国出石藩へ移封された。
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