今山大師寺
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今山大師寺 | |
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弘法大師銅像
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所在地 | 宮崎県延岡市山下町2丁目3998 |
位置 | 北緯32度35分24秒 東経131度39分58秒 / 北緯32.59000度 東経131.66611度座標: 北緯32度35分24秒 東経131度39分58秒 / 北緯32.59000度 東経131.66611度 |
山号 | 蓬莱山 |
宗派 | 単立、真言宗 |
本尊 | 弘法大師 |
創建年 | 天保10年(1839年) |
開山 | 大正6年(1917年) |
開基 | 天保11年(1840年) |
正式名 | 蓬莱山今山大師寺 |
別称 | 今山大師、おだいっさん |
公式サイト | 今山大師 |
今山大師寺(いまやまだいしじ)とは、宮崎県延岡市の今山の山頂にある寺。山号は蓬莱山(ほうらいさん)。本尊は高さ約30 cmの弘法大師木像。地元ではもっぱら「今山大師」と呼ばれ、日本一大きいとされる弘法大師空海の青銅製立像と、空海の命日である旧暦の3月21日の前後に毎年行われる「今山大師祭」で有名[1][2]。
歴史
「今山大師寺」は以前あった蓬莱山善龍寺の奥の院にあたる。延岡城下の発願により、天保10年(1839年)に高野山金剛峯寺から弘法大師の尊像を勧請したもの[3](天保11年と表記もあり[4])。
天保10年(1839年)、高野山金剛峯寺から高さ約30 cmの空海の木像を勧進し、当時今山にあった善龍寺の一角に大師庵を築き安置したのが始まりと伝えられる[5][1][6]。1911年(明治44年)大師山開山工事が竣工、1915年(大正4年)4月に叡山教会今山大師支部を設置、大正7年に大師堂が建立され、昭和24年に単立の今山大師寺を設立、1957年(昭和32年)大師銅像を建立[5][7]。
行事・祭事
大師祭りとは「お大師さん」こと弘法大師を弔い、家内安全、身体健康を祈る目的で催される行事である[6][8]。
まつりを開催するに至った経緯として、天保10年(1839年)、延岡で蔓延した疫病から人々を救おうと、ひとりの住職が高野山から「お大師」を担ぎ、祀ったことで疫病が治った。そのことから、延岡の人たちの感謝や祈願の思いからお大師の命日を祀ろうとしたことが始まりである[6]。
文化財
- 本尊・弘法大師座
- 今山開山記念碑
- 延岡空襲殉難碑
- 花塚
- 筆塚
- 髪塚
- 東京読売ジャイアンツ監督・長嶋茂雄植樹碑
- 子安弘法大師
- 今山伏見稲荷大明神
- お砂踏み
- 友情の句碑
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弘法大師銅像
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今山大師寺本堂
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鐘つき堂
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延岡空襲殉難碑
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筆塚
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今山伏見稲荷大明神
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大師像下お砂踏み
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子安大師堂
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お写経奉納八角堂
境内

延岡駅の西側の標高約60 mの今山の山上にある。弘法大師の木像を安置した本堂の横を通って奥に進むと高さ約10 m(台座を含めると17 m)の青銅像がある[1]。本堂から青銅像までの参道の左右には多くの石碑や石仏が並ぶ。
アクセス
脚注
- ^ a b c 朝日新聞西部本社 1983, p. 222.
- ^ 野口 & 柳 1982, p. 32.
- ^ 小嶋政一郎選文集刊行委員会 1980, p. 143.
- ^ 芦谷 1960, p. 240.
- ^ a b 全日本仏教会寺院名鑑刊行会 1970, 宮崎県-3.
- ^ a b c “今山大師について”. 今山大師. 2025年2月22日閲覧。
- ^ 宮崎日日新聞社『宮崎県の祭り』1982年 p32
- ^ 小嶋政一郎選文集刊行委員会 1980, p. 140.
参考文献
- 朝日新聞西部本社『九州の祭り・200選』葦書房、1983年7月。 NCID BN05107481。
- 芦谷新一 編『延岡大観』日向日々新聞延岡支社、1960年1月。 NCID BN07698491。
- 小嶋政一郎選文集刊行委員会『小嶋政一郎選文集』光輪舎、1980年8月。NDLJP:9773887。
- 全日本仏教会寺院名鑑刊行会 編『全国寺院名鑑』 四国・中国・九州・沖縄・付海外編(改訂版)、全日本仏教会寺院名鑑刊行会、1970年8月。国立国会図書館書誌ID: 031234536。
- 野口逸三郎、柳宏吉 編『宮崎の祭り』宮崎日日新聞社〈宮崎の自然と文化 10〉、1982年3月。NDLJP:12169265。
関連文献
外部リンク
- 今山大師寺のページへのリンク