亘理宗喬とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 亘理宗喬の意味・解説 

亘理宗喬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 01:12 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
亘理宗喬
時代 江戸時代前期
生誕 承応元年(1652年
死没 宝永4年12月27日1708年1月19日)享年56歳
改名 熊助(幼名)、休也(号)
別名 信濃守、大隅守(通称
戒名 還到院殿信道榮源徳翁大居士
墓所 宮城県栗原市の安楽寺。 今は福現寺と名が変わっている。
主君 忠宗綱宗綱村吉村
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏佐沼(高清水)亘理家
父母 亘理宗廣、泉田重時女
テンプレートを表示

亘理 宗喬(わたり むねたか)は、江戸時代前期の仙台藩士。高清水亘理家[1]2代当主。

宗廣は78歳まで生きたが、高清水亘理のニ代目を嗣がずに、子の宗喬が後を嗣いだのは寛文事件伊達騒動)の当事者原田宗輔伊達宗重がどちらとも従兄弟に当たり、寛文事件の累が及ばない様に、高清水亘理初代の宗根が亡くなった寛文九年(1669年)に一度後を嗣いだが、事件後に二代目を取り下げて、宗喬に二代目を嗣がせた可能性がある(典拠不明の独自研究)。

生涯

承応元年(1652年)に高清水の館で生まれた。[2] 明暦2年(1656年)祖父亘理宗根が開基した亘理氏の菩提寺となる安楽寺に、 宝永4年12月27日56歳で亡くなり葬られた。[3]

脚注

  1. ^ のちの佐沼亘理家。
  2. ^ 高清水城にて高清水亘理初代藩主亘理宗根の嫡孫。
  3. ^ 現:福現寺。安楽寺は後に佐沼へ移る。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  亘理宗喬のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「亘理宗喬」の関連用語

亘理宗喬のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



亘理宗喬のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの亘理宗喬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS