井坂善行
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井坂 善行(いさか よしゆき、1955年(昭和30年)2月22日[1] - 2022年(令和4年)12月28日[2])は、日本の政治家。元大阪府和泉市長(1期)。元和泉市議会議員(4期)。元公益財団法人(旧)南アジア友好協会代表理事
経歴
大阪府和泉市出身。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大学経済学部卒業。日刊スポーツ記者を経て、和泉市議会議員、和泉市長となる。
1977年(昭和52年)、日刊スポーツ新聞社に入社。阪急ブレーブス、阪神タイガース、近鉄バファローズ、パ・リーグキャップ、遊軍記者を担当後、プロ野球デスク。阪神の日本一(1985年)、近鉄の「10.19」や阪急・南海ホークスの球団売却(1988年)など、在阪球団の激動期に第一線の名物記者として活躍した。
1992年(平成4年)、和泉市議会議員選挙立候補のため退社。同年、和泉市議会議員選挙に立候補し初当選。以降、3選。
2003年(平成15年)、和泉市議会議員を辞職し、和泉市長選挙に立候補。和泉市長の稲田順三に敗れ落選した。
2004年(平成16年)、和泉市議会議員選挙に立候補し当選し、4選目を果たす。
2005年(平成17年)、当時の和泉市長の稲田順三が競売入札妨害容疑で逮捕され、辞職。これによる和泉市長選挙に立候補し、当選。
2009年(平成21年)、和泉市長選挙に立候補し、元和泉市議の辻宏康に敗れ落選した[3]。4年後の2013年(平成25年)に立候補するも現職であった辻宏康に再度敗れ落選。
2014年(平成26年)、公益財団法人(旧)南アジア友好協会代表理事就任。
2022年(令和4年)、12月28日に膵臓(すいぞう)がんのため67歳で死去。[2]。
脚注
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』280頁。
- ^ a b 元和泉市長の井坂善行氏が膵臓がんのため死去|泉州ニュース 2022年12月30日2023年6月23日閲覧。
- ^ 和泉市長選挙-2009年06月14日|大阪府和泉市|選挙ドットコム
参考文献
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
- 井坂善行のページへのリンク