井口任子とは? わかりやすく解説

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井口任子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/05 18:08 UTC 版)

井口 任子
選手情報
ラテン文字 Takako INOGUCHI[1]
Takako INOKUCHI[2]
国籍 日本
競技 短距離走
所属 リッカーミシン
生年月日 (1942-02-04) 1942年2月4日(82歳)
自己ベスト
100m 11秒8(1963年)[1][3]
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井口 任子(いのぐち[4]/いのくち[5] たかこ、1942年2月4日[3] - )は、日本の陸上競技(短距離走)選手。1964年東京オリンピックで女子400メートルリレー走に出場した[3]

結婚後の姓は松尾 任子[4]。娘の松尾知美もバドミントンで2度のオリンピックに出場している[4]

経歴

熊本県出身[6]。熊本市立高等学校(現在の熊本市立必由館高等学校)卒業後[7]リッカーミシン[注釈 1]に所属[7][6]

1962年アジア競技大会(ジャカルタ)では女子100m走で銅メダル、400mリレー(山崎晴子・井口任子・島田紀代子・依田郁子)で銀メダル[2]

1964年東京オリンピックでは、女子400メートルリレー走(井口任子・江副令子宮本悦子依田郁子)に出場してアンカーを務めたが、予選通過はならなかった。

脚注

注釈

  1. ^ この時代の紡績関連企業は多くのアスリートの生活を支えており[8]、東京オリンピックでは井口を含め12人が出場している[9]。女子陸上競技では依田郁子佐藤弘子小保内聖子、横山弘子が同社所属であった。

出典

  1. ^ a b Takako Inoguchi”. International Olympic Committee. 2021年5月1日閲覧。
  2. ^ a b c Japanese Delegation of Athletics Team”. 日本陸上競技連盟. p. 39 (2018年). 2021年5月1日閲覧。
  3. ^ a b c Takao Inoguchi Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
  4. ^ a b c (五輪をめぐる)64年のレガシー:3 娘も五輪、「一人では強くなれない」」『朝日新聞』2019年3月28日。2021年4月26日閲覧。
  5. ^ 樹原涼子. “金栗四三ミュージアム開館記念 樹原涼子トーク&コンサートコーナー無事終了!”. 2021年5月1日閲覧。
  6. ^ a b 熊本の陸上競技小史” (pdf). 熊本陸上競技協会. 2021年5月1日閲覧。
  7. ^ a b 束原文郎 2013, p. 270.
  8. ^ 束原文郎 2013, p. 251.
  9. ^ 束原文郎 2013, p. 252.

参考文献

関連項目




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