二階堂貞明とは? わかりやすく解説

二階堂貞明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 10:06 UTC 版)

 
二階堂貞明
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 文化13年(1816年
死没 慶応4年8月13日1868年9月28日
改名 量山
主君 喜連川煕氏
氏族 二階堂氏
貞則
テンプレートを表示

二階堂 貞明(にかいどう さだあき)は、下野喜連川藩家老。号は量山(りょうざん)。

第9代喜連川藩主である喜連川煕氏に仕えた家老で、煕氏と一緒に藩政改革を行なった。だが改革は下士からの批判が強く、煕氏没後の文久2年(1862年)10月に子の貞則(主殿輔)とともに失脚した。

慶応4年(1868年)7月、子の貞則と官軍に対して喜連川縄氏会津藩と内通したと讒訴した。疑念を抱いた官軍の高塩又四郎(喜連川藩出身・鳥取藩隊長)は、佐賀藩士・中島彦九郎と喜連川御所に重臣を集め、二階堂父子を問いただしたところ讒訴が発覚した。このため、8月13日、縄氏によって貞明・貞則父子・邦之助(貞則の弟)やこの企てに加わった者は斬首となった。享年53。(貞則はさらに曝し首の刑に処された。)

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二階堂貞明」の関連用語

二階堂貞明のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二階堂貞明のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの二階堂貞明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS