争座位帖
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『争座位帖』(そうざいじょう、『争座位文稿』とも)は広徳2年(764年)、真卿55歳の時の書。真卿が右僕射の任にあった郭英乂に送ったとみられる手紙の草稿(下書き)。内容は英乂が百官集会(諸官の集会)の折、座位を乱したことに対して、朝廷の権威をそこなったとして抗議したもの。『祭姪文稿』、『祭伯文稿』とともに「顔真卿の三稿」といわれた1つ。真跡は伝わらないが、西安碑林にある関中本が最も信頼できる刻本とされる。
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