了庵桂悟とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 宗教家 > 宗教家 > 日本の僧 > 了庵桂悟の意味・解説 

了庵桂悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 00:39 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

了庵桂悟(りょうあんけいご、応永32年(1425年) - 永正11年9月15日1514年10月3日))は、室町時代中期から戦国時代にかけての臨済宗の僧。諱は仏日禅師。

山城国真如寺の大疑宝信の法を継ぎ、伊勢国安養寺を経て、1478年文明10年)東福寺の住持となった。三条西実隆の推挙によりその名を高め、朝廷でしばしば禅を説いた。1506年永正3年)、後土御門天皇より遣明使の正使に任じられて1511年(永正8年)に渡り、貿易品の価格交渉や文人との交流を行った。1513年(永正10年)に帰国するが、その際の寧波滞在時に、王陽明から帰国を送る文を贈られている。その後は南禅寺や東福寺大慈院に住した。

脚注






固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」から了庵桂悟を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から了庵桂悟を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から了庵桂悟 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「了庵桂悟」の関連用語

了庵桂悟のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



了庵桂悟のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの了庵桂悟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS