久伊豆神社_(越谷市砂原)とは? わかりやすく解説

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久伊豆神社 (越谷市砂原)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/12 10:16 UTC 版)

久伊豆神社
所在地 埼玉県越谷市砂原1455
位置 北緯35度54分57.1秒 東経139度45分48.4秒 / 北緯35.915861度 東経139.763444度 / 35.915861; 139.763444 (久伊豆神社 (越谷市砂原))座標: 北緯35度54分57.1秒 東経139度45分48.4秒 / 北緯35.915861度 東経139.763444度 / 35.915861; 139.763444 (久伊豆神社 (越谷市砂原))
主祭神 大己貴命倉稲魂命
社格 村社
創建 天正元年(1573年
別名 砂原久伊豆神社
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久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)は、埼玉県越谷市神社

歴史

1573年天正元年)に創建された。ところが江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿』には、当社は載せられておらず、同市小曽川所在の小曽川久伊豆神社が砂原村の鎮守と記載されている[1]。ただ別当寺の「聖動院」は記載されている[2]ことから、おそらく風土記稿の編者が書き漏らしたものと推測される。聖動院は不動明王本尊とする真言宗の寺院であったが、明治初期の神仏分離により、廃寺に追い込まれた[3]

1913年大正2年)の神社合祀により、周辺の3社が合祀された。当社はこれまで近代社格制度における「無格社」であったが、1943年昭和18年)に「村社」に列せられた[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 新編武蔵風土記稿 小曽川村.
  2. ^ 新編武蔵風土記稿 砂原村.
  3. ^ a b 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年、1212-1213p

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年
  • 「小曽川村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ203埼玉郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764008/10 
  • 「砂原村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ203埼玉郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764008/15 



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