久々利九人衆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 10:08 UTC 版)
その他の家々は、元和3年(1617年)尾張藩の家臣とされ、中寄合の下並寄合の上座に配され、美濃国可児郡久々利村に屋敷を与えられ、美濃国内の尾張藩領の数ヶ村を知行地とした。これら9家を久々利九人衆という。寛永2年(1625年)9月に徳川義直は、鷹狩にて久々利村を訪れた時に、山村甚兵衛家と千村平右衛門家の両家から200石づつを割いて千村九兵衛(千村助右衛門の子)と原藤兵衛(原図書助の子)の両人に与えたためめ、山村清兵衛家、山村八郎左衛門家、山村次郎衛門家、千村助右衛門家、千村七郎左衛門家、千村九右衛門家、原十郎兵衛家、原新五兵衛家、三尾惣右衛門家の9家となった。
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