丹羽廉芳とは? わかりやすく解説

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丹羽廉芳


丹羽廉芳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 21:03 UTC 版)

丹羽 廉芳(にわ れんぽう、1905年(明治38年)2月23日 - 1993年(平成5年)9月7日)は日本の曹洞宗大本山永平寺第77世貫首。曹洞宗管長。道号法諱「瑞岳廉芳」、慈光圓海禅師。

略歴

人物

  • 大谷大学に学び、浄土真宗の教えにも触れている。
  • 洞慶院時代に、曹洞宗梅花講を全国に普及させることに尽力した。
  • 海外に積極的に出かけて各地の宗教指導者と交流した。(1986年中国、1987年ヨーロッパ、1989年スリランカ)ヨーロッパ訪問時はヨハネ・パウロ2世とも会見している。
  • 1986年には永平寺国際部設置。
  • 寺および宗派の檀家管理などのため積極的にコンピュータの導入をおこなう。
先代
秦慧玉
永平寺 第77世貫首
1985 - 1993
次代
宮崎奕保



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