中西用徳とは? わかりやすく解説

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中西用徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 09:24 UTC 版)

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中西 用徳(なかにし もちよし、1870年2月1日明治3年1月1日[1][2]) - 1935年昭和10年)12月9日[2])は、明治から昭和時代初期の司法官大審院部長判事

経歴

中西用亮の子としてのちの三重県に生まれる[1]。普通学を修めたのち1892年(明治25年)法科大学に入り、1895年(明治28年)同大を卒業し法学士の称号を得た[3]1897年(明治30年)栃木区裁判所[2]検事に任じ、同年判事に転じた[3]。浦和地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、同部長判事を経て、1902年(明治35年)東京控訴院判事に就任する[3]。その後、東京、大阪各控訴院部長判事、京都、大阪各地方裁判所所長、長崎控訴院長を歴任し、1928年(昭和3年)大審院部長となった[2]

栄典

脚注

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  1. ^ a b 人事興信所 1903, 572頁.
  2. ^ a b c d 上田ほか 2001, 1371頁.
  3. ^ a b c 人事興信所 1903, 573頁.
  4. ^ 『官報』第4117号「叙任及辞令」1926年5月17日。

参考文献




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