中御門経民とは? わかりやすく解説

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中御門経民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 10:01 UTC 版)

中御門経民

中御門 経民(なかのみかど つねたみ、1893年明治26年)5月13日[1] - 1989年平成元年)12月31日[1][2])は、大正から昭和期の官僚政治家華族貴族院男爵議員

経歴

海軍士官男爵中御門経隆の三男として生まれた[1][3]。父の隠居に伴い、1915年(大正4年)10月30日、男爵を襲爵した[1][3][4]

1917年(大正6年)7月、京都帝国大学法科大学政治経済学科を卒業[2][3][5]。同年、拓殖局嘱託となる[2]。その後、衆議院書記官兼拓務書記官、衆議院秘書課長、同調査部二課長、衆議院事務局議事課長、海軍省事務官、議院制度調査会幹事、議会制度審議会幹事などを務めた[2][3]

1939年(昭和14年)6月21日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]。その他、学習院評議会会員、拓務省委員、大東亜省委員、外貨債処理委員会委員などを務めた[2]

親族

  • 妻:華(はな、旧名・華子、稲葉順通長女)[1]
  • 長男:経国[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』242頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』79頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』ナ79頁。
  4. ^ 『官報』第976号、大正4年11月1日。
  5. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正6年 至大正7年』京都帝国大学、1918年、327頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
  7. ^ 『官報』第3738号、昭和14年6月23日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
中御門経隆
男爵
中御門家(分家)第2代
1915年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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