中山 兼親とは? わかりやすく解説

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中山兼親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/24 06:52 UTC 版)

中山 兼親 (なかやま かねちか、貞享元年12月9日1685年1月13日) - 享保19年10月25日1734年11月20日))は、江戸時代公家

官位の最高位は正二位、官職の最高位は権大納言。院号は「後光恩院」。

経歴

権大納言だった中山篤親の子。弟に庭田重孝、子に中山栄親、中山為憲、正親町実連がいる。

貞享4年(1687年)に叙爵された。

貞享5年または元禄元年(1688年)侍従に任じられる。

元禄4年(1691年)従五位に進み、元禄5年(1692年)に元服し正五位下に進み、元禄10年(1697年)に右少将に任じられる。

元禄11年(1698年)に従四位下に進み、元禄13年(1700年)に右中将に任ぜられる。元禄14年(1701年)従四位上に進み、元禄16年(1703年)に蔵人頭に任じられる。

宝永元年(1704年)に正四位下、宝永2年(1705年)に正四位上に進み、宝永3年に(1706年参議に任じられ、従三位となる。

正徳元年(1711年)、正三位に進み踏歌外弁・東照宮奉幣使となる。

正徳2年(1712年)、権中納言に任じられる。

享保元年(1716年)に従二位に進み、享保4年(1719年)に権大納言に任じられ、武家伝奏となる。享保7年(1722年)に権大納言を辞する。

享保9年(1724年)、正二位に進み、享保11年(1726年)に再度権大納言に任じられるも、翌年に辞した。

参考文献




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