中央部説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 04:37 UTC 版)
李丙燾は、真番郡の範囲は、楽浪郡の南部と京畿道として、北は載寧江(帯水)で楽浪郡と接し、東は臨屯郡、南は辰韓とそれぞれ接し、西は黄海に綿糸、現在の北朝鮮黄海南道・黄海北道・京畿道一帯に相当するとしている。この説は、楽浪郡南部と被ってしまうように解釈されるが、李丙燾はそうではなくて、楽浪郡の南部7県(帯方、列口、長岑、昭明、含資、提奚、海冥)からなる「南部都尉」は実は真番郡が廃止された前82年に真番郡から編入されたのであり、真番郡の残りの8県は辰国または馬韓に併呑されたという。「霅県」は現在の京畿道ソウル付近と推測している。この説では後の三韓の地の大部分は漢朝に併合されなかったことになるが、この説は韓国人の説でありながら、中国の中国地図出版『中国歴史地図集』に採用されており、中国における通説となっている。日本では井上秀雄が支持している。この説の場合、真番郡全体が北に寄り過ぎ、距離が史料の記述とまったく合わないのが難点となる。
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