並河寒泉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 並河寒泉の意味・解説 

並河寒泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/10 00:50 UTC 版)

並河 寒泉(なみかわ かんせん、1797年6月25日寛政9年6月1日)- 1879年明治12年)2月6日)は、幕末から明治時代の儒学者である。名は朋来後に登茂樹、字は亨。別号に華翁等がある。通称は又一郎、復一。

経歴・人物

並河天民の孫、並河尚誠と中井竹山の娘の子として摂津大坂(現在の大阪市)に生まれる。幼年期に両親と死別し、伯父に育てられる。1811年文化10年)に懐徳堂で儒学を学び、同時に中井抑楼の養子及び門人となり、姓も中井と改姓する。後に抑楼の子と結婚した後、並河姓に戻す。師匠の死後、後継者として明治維新による閉校まで懐徳堂で教鞭を執った。

また、1855年安政2年)にエフィム・プチャーチンらロシア艦隊が大阪湾に来航した際には、士官を務めたり、竹山が著した『逸史』を江戸幕府に奉納する等、政治関係の業務にも携わった。

1919年(大正8年)、正五位を追贈された[1]

主な著作物

  • 『拝恩志喜』
  • 『弁怪』

脚注

  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.48

出典



このページでは「ウィキペディア」から並河寒泉を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から並河寒泉を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から並河寒泉 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「並河寒泉」の関連用語

並河寒泉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



並河寒泉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの並河寒泉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS