上官周
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 00:39 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動![]() | 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2019年8月) |
上官周(じょうかん しゅう、1665年 - 1752年)は、清朝・中国の画家。字は文佐、竹荘と号す。
事績
福建省長汀県の出身。閩西客家画界の第一人者という。人物画・山水画に優れる。1743年(乾隆8年)に『晩笑堂画伝』を刊行する。これは周代から明代にいたる中国史における著名な人物120名を描き、それぞれに小伝をつけた画集である。日本には江戸時代の初期に伝わり、広く知られる。幕末日本の画家である菊池容斎の『前賢故実』はこの『晩笑堂画伝』の形式にならったといわれる。
清代の評論家・張浦山は上官周の水墨画について「墨あって筆なし、閩習を脱していない。人物を描く工夫を多くしているが超逸しているとは言い難い」と評している。特筆すべきは官周が西洋画の影響を受けていることで、人物画にその洋風が見られる。晩年には官周に影響を受けた画家としては、黄慎が挙げられる。
上官周の作品としては他に《南巡成典図》、《八巡万寿成典図》、《山水秋景図》、詩集として『晩笑堂詩集』がある。
参考文献
![]() | この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年8月) |
固有名詞の分類
- 上官周のページへのリンク