七人の眠り聖人の洞窟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 04:36 UTC 版)
「七人の眠り聖人」の記事における「七人の眠り聖人の洞窟」の解説
この伝説の最初期版がエフェソスから広まったため、初期キリスト教のカタコンベがそれに関連付けられるようになり、多くの巡礼者を惹きつけた。1927-28年にエフェソス近くのピオン山(セリアン山)の斜面(現:トルコのセルチュク付近)で、七人の眠り聖人の洞窟がその上に建てられた宗教遺跡と共に発掘された。この発掘は5-6世紀における数百の墓を明らかにした。その壁面や墓の中で七人の眠り聖人に捧げられた碑文が発見された。この洞窟は現在も観光客に公開されている。 ヨルダンのアンマン付近にある洞窟も七人の眠り聖人の洞窟として知られており、その内部には7つの墓があり洞窟からは通気口が延びている。 七人の眠り聖人物語の発祥とされている洞窟 ヨルダンのアンマン 七人の眠り聖人洞窟の墓、ヨルダン 七人の眠り聖人洞窟の看板、ヨルダン トルコのアフシンにある遺跡 (Eshab-ı Kehf Kulliye) トルコのエフェソス トルコのタルススにある洞窟 (Eshab-ı Kehf Cave)
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