一志順夫とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 一志順夫の意味・解説 

一志順夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/14 04:54 UTC 版)

一志 順夫(いっし よりお[1]1962年5月2日 - )は、日本音楽プロデューサー実業家

来歴

東京都三鷹市に生まれる。東京都立三鷹高等学校を経て、1985年に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業した。[要出典]

大学卒業後はCBS・ソニーグループに入社し、福岡営業所、エピックソニー(現・エピックレコードジャパン)、制作オフィスグループOffice3、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)CAオフィス等に勤務する。SME CAオフィス時代にASAYANテレビ東京)男子ボーカリスト・オーディションの企画に松尾潔らと共に参加、CHEMISTRYの結成・デビューに関わる。また、現在もTVーCM等で使用されているソニー・ミュージックのCIロゴの作成にも関わり、1998年から使用されたロゴ(通称RAINBOW)は当時博報堂のプランナーであった箭内道彦(現・風とロック)との共同作業で制作された。[要出典]

2004年にエピックレコードジャパン執行役員に就任した。執行役員在任中にいきものがかりがデビューした他、Aqua TimesT.M.Revolution鈴木雅之等数多くのアーティストに関わる。また映像事業ではショートムービーと音楽を融合した「cinemusica」シリーズを立ち上げプロモーションに新機軸を展開した。[要出典]

エピックレコードジャパンの代表取締役専務(2008年)を務めた後、デフスターレコーズ(2012年)とLabel Gate(2015年)で代表取締役社長を歴任した。[要出典]2017年にSMEの広報・CSRグループ本部長となり[2]2020年に[要出典]監査役に移った後、2022年6月に退任した[3]

人物

趣味は野球とレコード収集で、アマチュア野球観戦歴は長い。レコードはロック、ソウル、ラテン中心に一万枚超のコレクションを誇り、1980年代から1990年代にかけては専門誌への寄稿とライナーノーツの執筆も兼業していた。[要出典]

脚注

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  一志順夫のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「一志順夫」の関連用語

一志順夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



一志順夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの一志順夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS