一休との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 07:04 UTC 版)
偽書とされる『南方録』には、臨済宗大徳寺派の一休宗純に参禅し、印可の証として一休から圜悟克勤の墨蹟を授けられた、と書いてある。しかし、圜悟克勤の墨蹟は、珠光の跡取りである宗珠が所有していたとの記録が『清玩名物記』にあるのみで、一休や珠光が所持していたとの記録はない。 一休開基の真珠庵の過去帳の文亀2年5月15日(1502年6月19日)条に「珠光庵主」の名が見え、一休13回忌に一貫文を出している。その真珠庵の方丈東庭「七五三の庭」は、珠光作と伝わる。また、一休が応仁の乱から逃れるために京都東山から酬恩庵に移築した住居である虎丘庵の庭園も、珠光作と伝わる。
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