ヴャートカ(1858年 - 1867年)
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「ヴィクトル・ヴァスネツォフ」の記事における「ヴャートカ(1858年 - 1867年)」の解説
10歳からヴャートカの神学校に学び、夏ごとに家族連れで、豊かな商業地リャーボヴォに過ごした。神学校に在籍中に、地元のイコン商人のために働き、またポーランド人の流浪の画家、ミハウ・エルヴィロ・アンドリオリを助けて、ヴヤートカのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂のフレスコ画を制作した。 神学校を修了すると、サンクトペテルブルクに出て美術を学ぼうと決意する。帝都に上京するのに必要な資金を稼ぐため、自作の絵画「刈取る女」と「乳搾りの女」(いずれも1867年作)を競売にかけた。
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