ヴィクトル・メルジャーノフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヴィクトル・メルジャーノフの意味・解説 

ヴィクトル・メルジャーノフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/24 03:58 UTC 版)

ヴィクトル・カールポヴィチ・メルジャーノフ
Russian Pianist and Teacher
基本情報
生誕 (1919-08-15) 1919年8月15日
出身地 ソビエト連邦タンボフ
死没 (2012-12-20) 2012年12月20日(93歳没)
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト・音楽教師
担当楽器 ピアノ

ヴィクトル・カールポヴィチ・メルジャーノフロシア語: Ви́ктор Ка́рпович Мержа́нов ; 英語: Victor Karpovich Merzhanov, 1919年8月15日 タンボフ - 2012年12月20日)はロシアピアニスト・音楽教師。ソ連邦時代から半世紀以上にわたって現役で演奏・教育活動に取り組むロシア・ピアノ楽派の最長老であった。

略歴

タンボフ音楽大学にてソロモン・スタリコフとアレクサンドル・ポルトラツキーに師事。1936年から1941年までモスクワ音楽院サムイル・フェインベルクピアノを、アレクサンドル・ゲディケオルガンを師事し、優等で卒業する。

1945年、第3回ソ連全国ピアノ・コンクールにおいてスヴャトスラフ・リヒテルと首位を分け合ったことにより、国際的に認知されるに至る。1949年には、ショパン・コンクールに6位入賞。モスクワ音楽院の大理石の壁に、スクリャービンラフマニノフの名と並んでメジャーノフの名が刻まれた。1946年モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の独奏者に迎えられる。

1947年よりモスクワ音楽院の教授に就任し、ウラディーミル・ブーニンやオレグ・ヴォルコフ、イーゴリ・ギルファノフ、ユーリ・ディデンコ、ミハイル・オレーネフ、原田英代、ナッザレーノ・カルーシ、タチアナ・シェバノワ、ルスラン・スヴィリドフ、イリーナ・ホヴァンスカヤ、アンナ・ヤローヴァヤ、アナヒット・ネルセシャンらを輩出した。日本を訪れマスタークラスを開講したことがある。

60年間の公演活動において、ロシア欧州米国中国などの国々で200回以上もの演奏会を行ない、また、ロリン・マゼールクルト・ザンデルリングキリル・コンドラシンアレクサンドル・ガウクゲンナジー・ロジェストヴェンスキーユーリ・テミルカーノフエフゲニー・スヴェトラーノフらの著名な指揮者と共演してきた。

レパートリーは、バロック音楽ベートーヴェンといった古典から、プロコフィエフショスタコーヴィチまで幅広い。

初期から同時代の音楽の擁護者であり、作曲者本人に選ばれて、プロコフィエフの《ピアノ・ソナタ第6番》の初演を果たした。今日では、モスクワ・チャイコフスキー音楽院ならびにタンボフ・ラフマニノフ音楽学校の教授を務めており、またモスクワチャイコフスキー・コンクールワルシャワショパン・コンクールブダペストリスト=バルトーク・コンクールなど40以上もの国際的なコンクールで審査員を務めている。また、ラフマニノフ国際ピアノコンクールの創設者でもある。加えて、ラフマニノフ・ピアノ講習会の芸術監督と、(タンボフ近郊のイワノフカに位置する)ラフマニノフ博物館の幹部も務めている。

2012年12月20日、死去[1]。93歳没。

外部リンク

音源

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヴィクトル・メルジャーノフ」の関連用語

ヴィクトル・メルジャーノフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヴィクトル・メルジャーノフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヴィクトル・メルジャーノフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS