ヴィクトリアマキシウタとは? わかりやすく解説

ヴィクトリア・マキシウタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 21:57 UTC 版)

ヴィクトリア・マキシウタ
Victoria Maxiuta
選手情報
生年月日 (1981-11-15) 1981年11月15日(42歳)
代表国  ウクライナ
出生地 ソビエト連邦
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国キーウ
身長 158 cm
元パートナー ウラジスラフ・ゾフニルスキー
ヴィタリー・ドゥビナ
元コーチ Dmitri Shkidchenko
Oksana Maslova
元振付師 Oksana Maslova
ISUサイト バイオグラフィ
獲得メダル
フィギュアスケート
世界ジュニア選手権
1996 ブリスベン ペア
1997 ソウル ペア
1998 セントジョン ペア
1999 ザグレブ ペア
ジュニアグランプリファイナル
1997 ローザンヌ ペア
1998 デトロイト ペア
■テンプレート ■選手一覧 ■ポータル ■プロジェクト

ヴィクトリア・マキシウタ英語: Victoria Maxiuta ウクライナ語: Вікто́рія Олекса́ндрівна Максю́та, 1981年11月15日 - )は、ウクライナ女性フィギュアスケート選手。キエフ (現:キーウ)出身。1995-1996年シーズンの世界ジュニア選手権ペアチャンピオン。パートナーはウラジスラフ・ゾフニルスキーとヴィタリー・ドゥビナ。

経歴

ウクライナのキエフ (現:キーウ)に生まれ、3歳のころにスケートを始めた。ウラジスラフ・ゾフニルスキーとペアを結成し、ロシア所属となり国際大会へ出場した。1995-1996年シーズン、初出場の世界ジュニア選手権でいきなり優勝を果たす。翌1996-1997年シーズンからは3年連続で世界ジュニア選手権3位となった。1997-1998年シーズンからは創設されたばかりのISUジュニアグランプリへ参戦。JGPファイナルでは優勝こそなかったものの2大会連続で表彰台に上り、4大会で優勝を果たした。

1998-1999年シーズンからはシニアの競技会へも参戦。ユニバーシアードでは中国の龐清&佟健組を抑えて優勝し、スケートアメリカでは3位となるなどシニア転向後も強さを発揮したが、同シーズン終了後にペアを解散。新たにヴィタリー・ドゥビナとペアを組みウクライナ所属となった。

1999-2000年シーズン、オンドレイネペラメモリアルでは優勝を果たしたものの、以後は特筆すべき成績を残せなかった。

主な戦績

  • 1998-1999年シーズンまではウラジスラフ・ゾフニルスキーとのペア(ロシア所属)。
  • 1999-2000年シーズン以降はヴィタリー・ドゥビナとのペア(ウクライナ所属)。
大会/年 1995-96 1996-97 1997-98 1998-99 1999-00 2000-01 2001-02
GPスケートアメリカ 3
GPロシア杯 6
GPスパルカッセン杯 8
ネペラメモリアル 1 1
ユニバーシアード 1
世界Jr.選手権 1 3 3 3
JGPファイナル 2 3
JGPブラオエン・シュベルター杯 1
JGPソフィア杯 1
JGPSNP 1
JGPハンガリー杯 1

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