ワットシームアンとは? わかりやすく解説

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ワット‐シームアン【Wat Simuang】

読み方:わっとしーむあん

ラオス首都ビエンチャンにある仏教寺院。ランサン王朝18代王セーターティラートによる建立とされる創建時に若い妊婦人身御供となったという伝説があり、女性参拝者多く訪れる。タイ侵攻により破壊され、のちに現在見られる建物再建された。


ワット・シームアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 04:06 UTC 版)

ワット・シームアン本堂

ワット・シームアン(ラーオ語:ວັດສີເມືອງ)はラオスのビエンチャンにある上座部(ラーオ語:ນິກາຍເຖຣວາທ)仏教寺院である。仏教と共にバラモン教的な信仰対象として町の礎柱を護るために人身御供となった女性(シームアン聖女(ラーオ語:ເຈົ້າ​​ແມ່​ສີ​ເມືອງ))と礎柱を祀っており、多くの信者が礼拝する[1][2]。学問、恋愛、仕事、健康と幸運の恵みを求める場所として特に有名である[3]

本堂内

境内では、参拝者が僧侶より白や橙色の紐を手首に結んでもらい、護符としての祝福を授かったり、聖水を注いでもらい、心身の健康と世俗の成就を祈願する姿が見られる[3]

建立譚

言い伝えによると、1509年に町の礎柱を立てるために中心部に家一軒が埋まるほどの長方形の穴を掘る儀式が行われた。当時の大臣や役人たちは、響き渡る銅鑼の音とともに村人たちに「この都の礎とならんとする尊き供養のため、誰がこの穴に身を投じ、その命を捧げるであろうか」と告げた。サイ村に住まう心優しき妊婦、シー(ラーオ語:ສີ)という女性は、穴の深さを二度、静かに見つめ三度目に、自らの身をもって、この聖なる供養に応えんと決意し、静かにその穴へと身を投じた。そしてその上に、ビエンチャンの永劫なる繁栄を象徴する礎柱が建立された[3][1]

ワット・シームアンはこの町の礎柱がある場所にセータティラート王(ラーオ語:ເຈົ້າ​ໄຊ​ຍະ​ເຊ​ດຖາທິລາດ)が1563年に建立した仏教寺院である。1828年にシャム軍により破壊され、1915年に再建された[1]

信仰

人々は現在もワット・シームアンを聖なる場所として信仰しており、学問、恋愛、仕事、健康と幸運の恵みを求める場所として特に有名である[3]。なかでも火曜日と布薩日(ラーオ語:ວັນ​ສິນ)には、寺に寄進し、シームアンの聖女(ラーオ語:ເຈົ້າ​​ແມ່​ສີ​ເມືອງ)へ祈願する。その願いが叶った際にはお礼参りを行う習慣がある[4][1]

蜜蝋の櫓のパレード

ラオス歴の12月15日上弦の日、タート・ルアン祭りの日には、蜜蝋の櫓のパレード(ラーオ語:ແຫ່​ປະສານ​ເຜິ້​ງ)がタート・ルアン仏塔へ向けて行われるが、ワット・シームアンはそのスタートポイントとなる[1][5]

町の柱への供養儀式

11月には町の礎柱への供養儀式(ラーオ語:ພິທີຖວາຍເຄື່ອງສັງເຫວີຍແດ່ມະເຫສັກຫຼັກເມືອງ)が行われる。都市の守護神の象徴である町の柱に対して花、線香、ロウソク、果物、お菓子、米などの供物を捧げ、加護を祈る供養儀式である[6]

住職

現在の住職は、ラムグン・スワンナサーン大師(ラーオ語:ພຣະອາຈານໃຫຍ່ ປທ ລຳເງິນ ສຸວັນນະສານ)である[7]

本堂

本堂(ラーオ語:ສິມ)は、様々な仏像が安置されるが、本尊が無く代わりに巨大な長方形の町の礎柱が安置されている点が特徴である。人々は本尊の仏像を拝むのと同じように、この石の礎柱を拝み、金箔を貼る。この礎柱は共同体の中心であり、神聖な儀式が行われる場所となっている[2]

町の礎柱はラテライトの直方体で、かつてはクメールの都市の境界を示す古代の標石であった可能性が指摘されている。この寺院からはホーパケオに展示される多くのクメールの遺物が発見された。礎柱の周囲には複数の仏像が安置されており、特に地面に座る仏像は特別な崇拝対象とされている。というのも、本堂裏の仏塔遺跡で行われた悪霊払いの儀式の際に偶然発見されたもので、強力な守護力があると信じられているためである[8]

ラテライトの仏塔遺跡

ラテライトの仏塔遺跡

本堂の裏手には、西暦1700年頃のジャヤーヴァルマン7世様式の大乗仏教建築であるラテライトの仏塔の遺跡がある。現在の寺院が建てられる以前からこの場所が長い間神聖な場所であったことを証明している[2]

出典

  1. ^ a b c d e noy, Admin (2020年1月21日). “ປະຫວັດວັດສີເມືອງ ວັດ​ສີ​ເມືອງ ​ນະຄອນຫຼວງວຽງຈັນ” (英語). Lao Economic Daily. 2025年7月21日閲覧。
  2. ^ a b c วงษ์เทศ, สุจิตต์ (2016年12月29日). “สุจิตต์ วงษ์เทศ : ย่าแม่สีเมือง ผีบรรพชนเพศหญิง ที่วัดสีเมือง ในเวียงจัน” (タイ語). 2025年7月21日閲覧。
  3. ^ a b c d Vat Simeuang stands guard over city pillar”. Vientiane Games (2009年12月12日). 2025年7月21日閲覧。
  4. ^ colorlib. “ວັດສີເມືອງ ອີກສະຖານທີ່ທ່ອງທ່ຽວທີ່ສຳຄັນ”. sethakit-psx.la. 2025年7月21日閲覧。
  5. ^ ແຫ່​ປະສານ​ເຜິ້​ງ”. ວັດສີເມືອງ ເມືອງສີສັດຕະນາກ ນະຄອນຫຼວງວຽງຈັນ (2024年11月3日). 2025年7月21日閲覧。
  6. ^ ພິທີຖວາຍເຄື່ອງສັງເຫວີຍແດ່ມະເຫສັກຫຼັກເມືອງ”. ວັດສີເມືອງ ເມືອງສີສັດຕະນາກ ນະຄອນຫຼວງວຽງຈັນ (2024年11月15日). 2025年7月21日閲覧。
  7. ^ ຕອນເພນມື້ນີ້ຄະນສົງວັດສີເມືອງ”. ວັດສີເມືອງ ເມືອງສີສັດຕະນາກ ນະຄອນຫຼວງວຽງຈັນ (2025年4月5日). 2025年7月21日閲覧。
  8. ^ 『Guide pratique de Vientiane』Editions Vithagna、1974年。 


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