ロベール・ファルコとは? わかりやすく解説

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ロベール・ファルコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 02:05 UTC 版)

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ロベール・ファルコ
Robert Falco
向かって右端に座っているのがロベール・ファルコ
生誕 (1882-02-26) 1882年2月26日
フランスパリ
死没 (1960-01-14) 1960年1月14日(77歳没)
フランス・パリ
国籍 フランス
職業 弁護士
裁判官

ロベール・ファルコフランス語: Robert Falco1882年2月26日 - 1960年1月14日)は、フランス弁護士裁判官ニュルンベルク裁判でフランス副判事を務め、後に破毀院に所属した。

経歴

ファルコは1882年2月26日パリユダヤ人家庭に生まれた。彼の曽祖父は1831年フランス国王ルイ・フィリップより叙勲されている。また、母方の祖父はベルギー国王レオポルド2世の下で建築家として働き、彼の父親は普仏戦争に従軍、レジオンドヌールへの加入を果たした。その後パリの商事裁判所長官を拝命するなど、彼の家族には大きな功績を上げた者が多い。

法学を修得した後、1903年から法廷弁護士として働き始めた。1907年、「劇場観客の職務と権利」[1]という研究で博士号を取得。その後大法官府裁判所の裁判官となったが、1919年まで引き続き弁護も行っていた。

後にファルコはパリ上訴裁判所で勤務するが、1944年にユダヤ人の生まれであることを理由に解任されている。

1945年6月に開かれたロンドン会議に国際法学者であるアンドレ・グロスとともに出席し、国際軍事裁判所憲章への調印を行った。この憲章に基づくニュルンベルク裁判ではアンリ・ドヌデュー・ド・ヴァーブルとともにフランス裁判官として参加し、副判事を務めた。

1946年グレイ法曹院によって名誉ある弁護士に選出された。また、レジオンドヌール・コマンドゥールへの加入を果たしている。

1960年、パリで死亡。

脚注

  1. ^ Website of the French National Library (フランス語)

参考文献および外部リンク




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